懐かしの写真 お宝グッズ編

自慢の写真 お宝グッズ編

自慢の写真 お宝グッズ編のコーナーを設けました。
内海からの「卒業記念メダル」をお宝認定第1号として掲載します。

卒業記念メダル (内海出品)

内海から懐かしい卒業時にもっらった卒業記念メダルの画像が届きました。
私は、まったく記憶がありませんが、お宝認定しました。

越高受験票と定期券 (米川出品)

米川から、貴重なお宝出品依頼が届きました。厳正な審査の結果、第2号認定をいたしました。こんなどうでもよい物を40年以上も、よくぞ持ち続けてくれました。

持ち物「ナイフ」に軽く時代を感じます。みんなこれに祈ったんだろーな。(米川談)
憧れの定期券。入学式後に購入。15才って若っ!1日あたり30円って安っ!(米川談)

入学時には手作業だった定期券の発行。
3年の間に自筆の名前と年齢が印字されるものへと進化しました。
それでも非接触型ICカードなんて思いもしなかったなぁー!(米川談)

夏の甲子園を目指して (穂刈出品)

1979年(2年)と1980年(3年)の埼玉新聞社 高校野球グラフの記事から出品。

1979年(2年) 3回戦 岩槻

応援団に注目!上原(トランペット)、佐々木(声援)、細川(太鼓)、手古奈(フルート)
9回表 押し出し四球の場面

1980年(3年) 1回戦 浦和学院

1980年7月5日 読売新聞 出場校の紹介記事
応援席の写真に注目!前列の2人目は米川です。
浦和学院に逆転されたた場面

越高祭 (坂下からの出品)

坂下から、1年生、2年生の時の越高祭冊子が出品されました。
1年2組の紹介ページ、なつかしいです。旧校舎の地学室で、映画&Music Room(ディスコ??)

しおり (坂下からの出品)

坂下から連続出品です。よく大切に持っていました。
HR合宿は、1年生の時のものです。1-2 火の神は戸塚でした。レクレーション担当は田中と細川さん。
部屋割りは男子、2階報徳205-206、女子は2階 きりも5と3でした。
鎌倉は、2年生の時の郊外活動でした。この目的には、修学旅行のよい思い出をつくるために、スムーズに進むようにグループ活動の重大さを知り、それと同時に、鎌倉の文化財・史跡を考えると書いてありました。
知りませんでした・・・

石川遼くんと一緒の写真 (手古奈出品)

手古奈と八島の子供が同じ松伏の幼稚園で、石川遼くんと一緒に写った貴重な写真。
手古奈から写真を入手しました。

ちなみに遼くんの向かって右隣が手古奈の娘で (本人曰く、似てるでしょ(^^;)、
一番後ろの列の右から2番目が八島くんちの長女のかほちゃんです。

3年次生徒名簿 ~奇跡の360余名~ (米川出品)

出欠簿などに貼られてたみんな見憶えのあるアレ。
教師限定のレアアイテムがなぜかここに復活。

3年次生徒名簿

よく、こんなもの取ってあったと感心してます。

2年次生徒名簿 ~奇跡の360余名~ (米川出品)

修学旅行3日目の個人別コースのまとめ。
赤字は各自の希望が調整された、最終の確定コースです。

ごちゃごちゃと色々書き込まれていて、見苦しさもありますが、
30年も経つとリアルが何よりのエキス!ってことで。
米さんのマジメな仕事振りが、再評価される一品でもあります(笑)

「あれ?そういえば2年の時って何組だったっけ?」って人は、
この名簿でしっかり復習(予習?)して、同窓会に臨んでください。

ちなみに各コースの拝観料が異なるので、最も高額な庭園コース基準で
卒業時に差額が返金されました。
卒業のどさくさに紛れて、親に内緒でパクった人もきっと多いはず(笑)
古墳コースなどはかなり高額の返金でした。

テ:庭園コース
白:白鳳・天平コース
古:古墳コース
ア:飛鳥コース
平:平安コース
フ:藤原コース

2年次生徒名簿

よく、こんなもの取ってあったと感心してます。

1年次生徒名簿 ~奇跡の360余名~ (米川出品)

1年次生徒名簿

1年次の名簿も発見しました。これで3年間が完結!

越高新聞 ~燃えろ新入生~ (米川出品)

新聞部だった、米川から、貴重な「越高新聞」 1年生当時に発行されたと思われる記事を
お届けします。

燃えろ新入生
新入生のクラブ加入状況なんて記事もあったんですね。

越高新聞 ~猫の引っ越し~ (米川出品)

新聞部だった、米川から、こんな殺伐とした時期だからと、癒しネタの出品です。

猫の引越っし

みなさん!放送室にねこがいたことをご存知ですか。そのねこが心のある人にもらわれていきました。そこで元放送委員長であった高久くんに、そのことについて話を聞いてみました。
ねこは三匹ともメスで、五月の初めに生まれました。名前は、豊・満太郎・金之介。なぜそういう名前にしたかというと、放送委員の高久くんと葛野くんと、その二人の友だちである後藤くんが、そのねこを抱いていたときに、それぞれ自分のニックネームをつけたからだそうです。
豊は、しっぽがなくて病弱(ただ今は、とても元気)。満太郎は、とてもあばれん坊で野性的。金之介は、茶色で非常に女っぽくて、身のこなしが優しいそうです。
そして、その三匹は放送委員の人たちのなかで、大切に育てられました。ねこが成長していくにつれて、放送室においておくわけにいかなくなり、もらってくれる人を探したところ、六月の初めに二年生の金沢さんと宮川さんが名のりでました。
そして、豊は、高久くんに、金之介は、宮川さんに、満太郎は金沢さんにもらわれていきました。
高久くんに、ねこたちのお父さんがわりとして一言言ってもらったところ、ねこたちはとってもかわいく、これからの行く末が心配だそうです。
元気に育ってくれるといいですね・・・・・・。

卒業後の後楽園 (Y出品)

よくこんなものが残っていました。
卒業後の1980年3月31日。場所は後楽園でクラス会??だったか、ボーリングスコアの記録です。
当時の思い出写真はこちらから