懐かしの学び舎画像 1980年
■2015年9月27日
学び舎とは、そのままの姿でいつまでもそこにあり続けてくれる。
そんな幸せな幻想を多くの者が抱いているのは、至極当然のことだろう。
しかしながら、木造校舎がまだ全容を残す最後の年に越高生となり、
新校舎の完成に合わせるかのように卒業していった僕らは、
たった3年という短いサイクルの中で、学び舎がめまぐるしく姿を変えて
いく様を目のあたりにさせられた。
変わりゆくその姿を記録に残そうとした当時のノスタルジックな思いは、
それぞれの手元に今も残る画像と共に愛おしくさえある。
新たに発掘された懐かしの学び舎画像を、越高90周年という節目に。
校舎4階から校内南側を望む
柔らかさを増した陽の光が、久伊豆さん方から差し始める頃、
それは放課後の始まり。部活動に精を出す者や帰宅を急ぐ者。
青春時代の日常は、何年が過ぎても強烈にインプットされたまま。
校舎4階から校内北側を望む
陸上の越高と言われた時代からの専用トラックが、新校舎建設の煽りを受けミニサッカーのゴールに浸食されつつある。
タンポポをはじめとする草花で色鮮やかだった印象のフィールド内もサッカーの洗礼を受けてか土の色一色に。
木造校舎2階の西階段
この先の角を左に曲がれば被服室。
ドラム缶仕立ての防火用水が、校舎内の一画にあるという突拍子もない光景も、当時を知る者にとってはありふれた日常。
生徒たちの履くスリッパでピカピカに磨き上げられた廊下も印象的。
鳩たちのフィールド
鳩たちが運び上げた土や草の種によって、見事なまでに用を足していないであろう雨樋。校舎の取り壊しを知った彼らの卒業制作か。
退屈な授業の合間に聞こえてくる「クルックルー」の鳴き声に癒されたことも幾度となく。
旧体育館と柔道場
後方には木造校舎の理科棟が未だ健在だが、柔道場の東側にあった運動部の部室棟は既に取り壊されている。
グラウンドの使用制限に悩まされたこの時代、球技大会の主流はバレーボール。
正門付近から校舎を望む
間もなく取り壊される運命の図書館と後方の木造校舎。
中ほどに写る長い仮通路を使った人界戦術によって、新図書室への
書籍の運搬を課せられたのも、この時代の生徒たち共通の思い出。
越ヶ谷高校正門
久伊豆神社の参道を経て、ここからアプローチするのが当時の越高
に詣でる唯一かつ正式ルート。
閉ざされたままで今も残るが、僕らの卒業と共に、長きにわたった
その役割を終えていった。
宮前橋からの風景
宮前橋の北側から元荒川の下流、ボート部の艇庫方面を眺める。
秋冬の体育の時間に行われた土手の周回走では、左手前にある
ドラム缶の向こう側を、それぞれが勢いよく駆け下りて行った。
現在は、この画像の目の前を新宮前橋が横切っている。