越高新聞の歴史

祝!大正から昭和、平成、令和~そして100周年~

2019年5月1日~令和元年~
大正15年創立の越ヶ谷高校の歴史は昭和の年次と同じ。
昭和の時代に越高生だった者にとって、それはとても覚えやすいものだった。

平成の時代を経て令和元年となる今日のタイミングをそれに置き換えてみると
「昭和94年5月1日」
節目となる100周年まで残すところ6年となる。

まだ6年も先か…と思える一方、学校史100年の編纂といったミッションに関わる
方々にとっては、そうのんびりとはしていられないのかもしれない。

そんなシーンでの活用も願って、新しい時代の始まるこのタイミングに
自分の手元にある約20年分の越高新聞を共有しておこうと思う。

100年の歴史から見れば5分の1に過ぎないが、各時代の世相や出来事
そして越高生の活き活きとした姿を伝える何よりの記録なのだから。
(1981年卒 Y)

昭和37年度(第42号)~昭和55年度(第101号)までの記録

歴代の「越高新聞」を掲載いたします!(一面のみ)

第42号 昭和37年7月20日

第43号 昭和37年12月19日

第44号 昭和38年3月8日

第45号 昭和38年6月20日

第46号 昭和38年10月19日

第47号 昭和39年1月8日

第48号 昭和39年3月11日

第49号 昭和39年XX月XX日

第50号 昭和39年10月10日

第51号 昭和40年XX月XX日

第52号 昭和40年7月20日

第53号 昭和40年XX月XX日

第54号 昭和41年2月15日

第55号 昭和41年4月8日

第56号 昭和41年6月13日

第57号 昭和41年12月24日

第58号 昭和42年3月11日

第59号 昭和42年7月19日

第60号 昭和43年1月10日

第61号 昭和43年4月15日

第62号 昭和43年7月19日

第63号 昭和43年12月23日

第64号 昭和44年XX月XX日

第65号 昭和44年7月16日

第66号 昭和44年12月24日

第67号 昭和45年4月16日

第68号 昭和45年7月17日

第69号 昭和45年XX月XX日

第70号 昭和46年3月10日

第71号 昭和46年XX月XX日

第72号 昭和46年6月25日

第73号 昭和46年9月10日

第74号 昭和46年12月24日

第75号 昭和47年4月15日

第76号 昭和47年7月20日

第77号 昭和47年12月23日

第78号 昭和48年3月9日

第79号 昭和48年6月12日

第80号 昭和48年XX月XX日

第81号 昭和49年3月7日

第82号 昭和49年7月20日

第83号 昭和50年3月6日

第84号 昭和50年7月14日

第85号 昭和50年12月23日

第86号 昭和51年3月10日

第87号 昭和51年7月15日

第88号 昭和51年12月23日

第89号 昭和52年3月10日

第90号 昭和52年4月28日

第91号 昭和52年7月20日

第92号 昭和53年2月22日

昭和53年 1978年7月20日(第93号) ~ 昭和56年 1981年3月10日(第101号)
越高90周年を記念して、歴代の「越高新聞」を掲載いたします!(フルバージョン)

第93号 昭和53年7月20日

第94号 昭和53年12月23日

第95号 昭和54年3月10日

第96号 昭和54年7月21日

第97号 昭和54年12月24日

第98号 昭和55年3月11日

第99号 昭和55年7月19日

第100号 昭和55年12月24日

第101号 昭和56年3月10日

第99号~第101号 あとがき

たどたどしい記事だって、おぼつかない企画力だって、10代の瑞々しい感性の賜物。
どんなに人生経験を踏んだって、今となっては決して書けないもの。

そんな貴重で懐かしい越高新聞を共有したいとの思いがあり、電子化作業に
取り組んでみたものの、改めて確認すると99~101号の3つを所持していない。

運命の悪戯なんて言うと大袈裟になるけど、記念すべき100号(昭和55年12月)を
前にして、僕ら世代は引退した。
代わってそこを担う後輩たちに対する嫉妬や羨望といった感情が、当時あったかも
しれないのだが、100号周りを軽んじるようなことは決してないはず。

まあ新聞部メンバーに声をかければ何とかなるさと、安直に構えていたものの
問題の3つはどうしても見つからない。
「みんな使えないなぁ~(苦笑)」と、多くは期待せずこのサイトを頼ってみた。

学年同窓会の受付担当が越谷公民館に集まった日、それは唐突にやって来た。
「ホカリ君、サイトで呼びかけてた越高新聞を持ってきたんだけど…」

淡々とした彼女のトーンと、発している言葉の重さがどうにもマッチしない。
しかも女神のように思えたその手の先にあるのは、欠落していた3つの号すべて。
まさか新聞部以外の仲間が、40年近くもこんなもの(笑)を持ち続けてくれようとは…

ってことで、僕らの高校生活3年間をカバーする越高新聞が見事にコンプリート!
えーこさん、スペシャルサンクスです。
そして、そのきっかけを作ってくれた学年同窓会にも感謝!です。 

(提供:Y)